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世界の“頂点”のその先へ―東大、エベレスト、マッキンゼーを経た山田淳氏が語る山の未来

株式会社フィールド&マウンテン 山田淳

23歳9日でエベレスト登頂に成功し、当時の七大陸最高峰最年少登頂記録を樹立した山田淳さんは、マッキンゼー就職後、とある遭難事故をきっかけに株式会社フィールド&マウンテンを起業し、山の魅力を多くの人に伝えるべく日々試行錯誤を重ねています。登山業界の根底に潜む問題点、そして山の世界から見る、日本のあるべき姿を語っていただきました。

山田 淳(やまだ  あつし)
登山家
株式会社フィールド&マウンテン 代表取締役

1979年、兵庫県神戸市生まれ。東京大学経済学部卒業。中学在学中に登山を始め、大学在学中の2002年5月、23歳9日でエベレスト登頂に成功。当時の七大陸最高峰最年少登頂記録を更新する。2006年、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社、コンサルタント業を勤める。10年2月、株式会社フィールド&マウンテン(本社最寄り:東浦和)を設立。登山道具レンタル事業「やまどうぐレンタル屋」の経営や登山イベント運営、フリーペーパーを発行するほか、自身も登山ガイドとして活躍中。著書に『夢へのルートを逆算せよ!』(マガジンハウス)がある。

すべての人に寛容な“山”の魅力を、多くの人に伝えたくて

株式会社フィールド&マウンテン

―フィールド&マウンテンの事業内容のご説明をお願いします。

  弊社のミッションは2つ。登山人口の増加と、安全登山の推進です。それを達成するために、以下の3つの事業を行っています。

  1つ目は登山道具のレンタル業です。「やまどうぐレンタル屋」という屋号で、店舗やネットから登山道具の貸出を行っています。

  2つ目は登山に関する情報の発信。山歩(さんぽ)みち」というフリーペーパーを発行していまして、その刷り数は現在10万部ほどになっています。

  3つ目はガイド、イベントの運営。「山から日本を見てみよう」と銘打って登山ツアーを行っています。装備のレンタル料込みの参加費で、山飲みやテント泊などを開催しています。

―現在、どのような人や年代が利用していますか?

  20代後半から30代にかけての若い女性や、子どもが大きくなって時間のできた主婦の方が多いです。特にここ3~5年は「山ガール」と呼ばれるような若い女性が増えてきていますね。

  「山ガール」の存在が若い人が山に登るきっかけとなり、私たちも、そういう人たちのサポートができればいいなと思っています。

株式会社フィールド&マウンテン代表取締役 山田淳氏

―山田さんの考える登山の魅力は何ですか?

  山はいろんな人を許容できる場所なんです。プレイヤーとしてガチで頂上を目指す人、山頂は目指さずともハイキング程度に楽しもうと思っている人……それぞれの立場の人が同じ空間にいられる。それが山の良さかなって思います。

―登山人口を増やすために一番の障害となっているのは何だと考えていますか?

  もともと人間は自然の一部ですから自然のなかにいることが居心地が悪いわけはないんです。でも行くのをやめてしまうと億劫になってしまう。どうしてかというと、山は危険、装備のためにお金がかかる、経験が必要だ……といった、精神的なハードルがいくつもあるからです。

  しかもそういうアラート(警告)を、業界側が先回りして出してしまっている。つまり、登山業界自体が、登山人口の増加を止めてしまっているんですね。これは非常にまずいと思っています。

  「初心者にこの山は無理です」ではなく「初めてならこの山に行きましょう」とか、「最低限、これを持っていれば大丈夫です」とか、もっとポジティブな方向へメッセージを発信していくべきですね。みんながもっとポジティブな気持ちで、山に行くようになってくれたらいいなって思っています。

23歳でエベレストへ。その前後で、山岳ガイドとしての意識に変化が

エベレスト登頂について語る山田淳氏

―大学3年生の時にエベレスト登頂に成功し、当時の七大陸最高峰最年少登頂記録を更新された山田さんですが、登山を始められたきっかけをお聞かせください。

  小さいころからずっと喘息持ちで体が弱かったので、体を強くするため、中学生の時にワンダーフォーゲル部に入ったのがきっかけです。同じ運動部でもサッカーや野球のように人と競うものは自信がなかったし、その点、山登りは勝ち負けがなく、全員がゴールできるという点でも魅力的に思えて。

―初めて登った山はどこですか?

  ワンゲル部で行った屋久島です。その屋久島の自然に、圧倒されて……今まで経験したことのない感動でした。それ以来、屋久島が大好きで、今月(2015年10月)にはもう4回行っています。

  「山登り」って、ひとつの知的好奇心を満たす行為だと思っています。知らないことをしてみたい、経験してみたいというのは、誰にでもある欲求ですよね。登山家をしているのは山が好きというのもありますけれど、あの時の感動がずっと今まで続いているせいでもあるんですよ。

  エベレストを目指したのも、「世界一の山に登った時、どんな気持ちになるんだろう?」という好奇心によるものです。僕に限らず、富士山に登る人だって「日本一の山に登った時、どうなるのか」という気持ちで登っている人が多いと思います。

―なるほど。特に山田さんの場合、屋久島での原体験が、のちの登山人生に大きな影響を与えたのですね。

  東京にいても神戸にいても、360度自然に囲まれる瞬間はなかなかあるものではありません。でも自然のなかにいることが、人間としてあるべき姿だとも思うんです。登山を通して、それをより多くの人に感じてほしいのです。

  とはいえ、この競争経済の中で「じゃあ八ヶ岳の山麓に移り住んで自給自足の生活をしましょう」なんていうのは現実難しいですし、なら月に1回程度でも、山に行く機会を多くの人が持ってくれればいいなと思っています。

―登山ガイドとして、山の魅力を伝えていく仕事をしようと思ったきっかけは何ですか?

  一応、エベレスト登る前もガイドはしていましたが、それは自分が山に登る資金を稼ぐためで、自分は“プレイヤー”であり、ただ山を登りたいだけでした。でもエベレストに登ったあとは自分が得た経験を、もっと多くの人にしてもらいたい、社会に還元したいという気持ちが強くなったんです。

  さすがにエベレストは難しくても、どんどん登山にチャレンジしてほしい。チャレンジするには、先ほど言ったようないろんな壁を乗り越えなきゃならないから、その壁を超えるお手伝いをしたい。それができる山のガイドってすごく楽しい仕事なんだな、と思えました。

やまどうぐレンタル屋

―今後、貴社が目指すビジョンはなんですか?

  登山は、今後の日本の経済を救うキーになると思っています。
  日本経済はこれまで「ものづくり」産業がGDPの割合を大きく占めていました。しかしそれが弱まりつつある今、別の産業でカバーする必要があり、そのためにはこの国が持っているリソースをフルに活用しなければならないと思うんです。そのひとつが登山を含めた観光業ではないか、と考えています。

  実は、日本の国土の70%が山なんです。その山々を活かす方法のなかには林業や鉱業がありますが、それよりももっと現実的なのが自然を観光地とした観光業になるでしょう。これは環境を守る方向にも働くと思うんです。

―自然を観光地にすると、環境破壊やゴミ問題など、人為的なダメージを受けやすくなるという見方もありますが……。

  短期的に見ると確かにそうですが、長期的に見ればそうはなりません。
  もし自然観光業を成り立たせようと思うなら、その売りである自然環境は、持続可能な形でしっかり維持する必要があります。美しい環境を保全するための資金面を観光業でまかないつつ、人が入ることによるダメージに耐えうるだけのインフラを整える。そこのバランスが大事なんですね。

  まだ日本の観光業のGDPを占める割合は低いですし、日本の自然をわざわざ見に海外からお客様が来る、というのも少し遠い話でしょう。でも、たとえば日本の観光ツアーのオプションとして「富士山に登る」「屋久島や白神山地まで足を延ばす」という選択肢を勧めたり、もっと自然観光に関する情報を提供するなりしていけば、滞在日数の増加、客単価の上昇につながります。その産業規模は相当大きなものになるはずです。

  でも、人が多くなることに対してのルールやインフラが、まだまだ日本は不完全な状態です。経済はもとより、日本の美しく繊細な自然環境を守るためにも、観光業を成り立たせるのは日本の最優先課題なのです。

仕組みづくりを学びに、マッキンゼーへの就職を決める

マッキンゼーについて山田淳社長

―実際にエベレストの頂上に立たれた時は、どんな気持ちだったのですか?

  天気も良く、15分ほど頂上にいましたが、達成感よりも何よりも「早く下りなきゃ」って思っていました。一番標高が高くて一番酸素が薄くて一番温度が低い、一番危険な場所に立っているわけですから。登山って、登頂がゴールじゃないんです。

  「もうこれ以上は上がらなくていいんだ」という感覚はありましたが、「終わった」と思えたのはベースキャンプまで下りてきてからですね。それでようやくホッとしました。

―エベレスト登頂後もずっと登山ガイドのバイトをされていたということですが、当時をふりかえってみていかがですか?

  当時からバイトというよりも、プロのガイドとしての意識を持ってやっていました。ガイドを始めてからずっと僕についてきてくれているお客様もなかにはいらっしゃって。大学院まで行っても登山ガイドをしていて、ガイドで食べていければいいなと……もういっそ卒業できなくてもいいと思ってたくらい(笑)。

―ガイドを続けようと思っていたなか、マッキンゼーへの就職を決めたのは何故でしょう?

  登山の魅力を多くの人に知ってほしいと思ってガイドを続けていましたが、僕がお客様を山へ連れていける数は、年間でせいぜい1000人。それを30年続けたとして3万人ほど。当時の登山人口は560万人でしたから、30年かけて563万人にするのが、僕の人生かけてやりたいことなのか……。
  そうじゃない、もっと登山人口を効率よく増やすための仕組みをつくらなければ、と思い立ちました。

  でも何から手をつければいいかわからなかったので、いったん就職し、ビジネスのことを学ぼうと思いました。そのなかでも手っ取り早く徹底的に学べるところと言えば、商社かコンサルティングだろうと。そうして縁あって入社したのが、マッキンゼーでした。

―就職活動中の思い出などはありましたか?

  マッキンゼーの面接で、山のことを何にも聞かれなかったんです(笑)。商社を受けるときはバリバリ話していたんですけれど、そもそもマッキンゼーの面接では自己アピールの時間がもらえなくて。いきなり「東京にゴキブリって何匹いると思いますか?15分の間に考えてください」って紙と鉛筆を渡されて、その場で計算して……。

  これ、「フェルミ推定」っていう、実測するのが難しいものを推計する方法で外資系企業やコンサル業界の面接試験でよく使われるものだそうですが、当時は全然知らなくて。それがとにかく印象的でしたね。

―マッキンゼーではどんなことを意識して仕事をしていましたか?

  マッキンゼーには3年半いましたが、最初から「登山業界に戻る」とは伝えていましたし、そのためにBtoC事業、お客様と直接接する仕事がしたいと会社に伝えていました。韓国に住んでいたこともありましたので、海外でも仕事をさせてもらいました。

  主張すれば希望をかなえてくれる会社でしたので、その点はとてもありがたかったですね。仕事は楽しくて、いつのまにかのめりこんでいました。

史上最悪の山岳遭難事故……己が本当に進むべき道へ目を開く

フィールド&マウンテン代表山田淳さん

―マッキンゼーを辞めてフィールド&マウンテンを起業するに至ったのは、トムラウシ山の遭難事故(※)がきっかけとうかがいました。

(※2009年7月16日、北海道のトムラウシ山に登った登山者18名のうち、登山ガイド含む9名が低体温症で亡くなった遭難事故。夏山で起きた史上最悪の惨事といわれる。)

  山の世界に戻りたいとは思っていましたが、起業よりも登山人口を増やす「仕組み」をつくりたかっただけなので、たとえばマッキンゼーにいても僕の経験がコンサルを通じて登山業界に貢献できれば、それで満足だったかもしれません。

  でも、自分自身でやろう、と決めたのは、トムラウシの事故を聞いた時でした。率直に「起こるべくして起こった事故だな」と。誰かが一人滑落した、というような突発的な事故じゃなくて、登山業界の構造的な問題があったせいだと考えています。

  本当は現場にいるガイドが絶対的な権限と責任を持って、お客様を導いていかなければなりません。しかし現状、ガイドは旅行会社から仕事を発注される立場にとどまり、旅行会社側は採算を追いかけるようになってしまっている。「誰がお客様のほうを向いて仕事をしているのか」という部分が根本的に欠落しているんです。

  このままでは、いずれは大きな事故につながる。そうならないための仕組みをつくりたいと思っていたのに、それが結局起こってしまった……。マッキンゼーの仕事は楽しいけれど、自分が本当にするべきはこれじゃないはずだ、と強く思って、事故の報道があってすぐに、辞意を伝えました。

―私もこの事故のことをよく覚えています。「そもそも登山は個人の自己責任だ」といったような報道もなされましたね。

  こういう事故が起こると「自己責任だ」なんだと言いますが、そもそも「行くか、行かないか」の判断権を持っているのはお客様でなく、ガイドです。
  そして、その山で遭難が起きないよう、あるいは遭難しても安全なように、山小屋の設置だったり、救助のためのインフラを整えたりするのが政府や警察、登山業界の責務ですので、整備された場所を登る以上、お客様の「自己責任」など成り立たちません。

  もうひとつ、「山は危険な場所という認識を強く持って、万全の装備を整えよう」といった啓蒙活動も、まったく無意味だと思っています。そもそも人がそう簡単に何かに影響されるんだったら、マーケッターの仕事なんてすごくラクですし……。
  人に対して、どう発信すればいいのか、どう警告するのか、というのをまったく考えていませんよね。

  トムラウシの事故では盛んに「装備の甘さ」が取りざたされていましたが、「だから装備は万全にしよう」という啓蒙活動だけで、思考を停止させてはいけない。実力行使で登山をする人に安全な装備を渡さなければ、登山業者として責任を果たすことはできません。
  それで僕のなかで思いついたのが「登山道具のレンタル」だったんです。

―なるほど。となると、まずは登山道具をそろえるところから……。

  そうですね。自分の退職金をもとに最低限の登山道具を50セット買って、あとは自転車操業で乗り切りました。今は6000セットにまでなり、利用される方も初年度は2000人弱だったのが、現在は3万5000人ほどまでになりました。

  レンタルと言う利便性でもって、人が山に行くハードルをひとつ、取り除くことができたかなと思います。

会社に評価を依存しないこと。ずるがしこく、一生懸命に生きてほしい

フィールド&マウンテンで接客バイト

―山田さんのように、好きなことを仕事にしたい人にアドバイスはありますか?

  今の学生さんはとても真面目で優秀ですし、自己分析もきちんとしていますから、やりたいこと、好きなことは見つかっているはずなんです。それなのに、社会のレールに乗らなきゃいけない、ルールは守らなきゃならないっていう圧力に負けている気がします。

  僕の会社にもバイトの子が5~60人いますけど、「大企業に行きたい」「安定したところにいきたい」という希望がすごく多いんですよね。その気持ちはよくわかるし、間違いだとも思いません。でも、行きたい理由を聞くと「なんとなく大丈夫そうだし」と、きちんと自分の気持ちのなかで、考えを分解しきれていないように感じるんです。

  社会に出れば当たり前なのですが、人はもっと、感情で動く生き物です。だからただ「ルールさえ守ればいい」「与えられたレールに乗っておけば安心」というだけでは、のちのち苦しくなるばかりです。『○○会社の××さん』で自分を固めてしまうと、もし辞めることになってしまった時、自分は何者でもなくなってしまいますよ。

  どんなに真面目にルールを守ったところで、本当に大事な時に失敗したら、すべての評価が吹っ飛びます。大企業というレールに乗ったって、そこが長く続くという保証もありません。だからもっと普段から、自分が生きやすいように“ずるがしこく”なってほしいですね。

―ありがとうございます。では最後に、若い人に向けてメッセージをお願いします。

  とにかく一生懸命に生きてください。仕事は、始めてしまうと人生のなかでものすごく長い時間を占めるものです。仕事が自分の生涯で打ち込めるもの、自分の人生そのものになります。

  多くの社会人は仕事を始めてから自分が一生懸命になれることを探すのですが、でもそれより前の学生時代の時に、本気で打ち込めるもの、これだけやっていれば幸せっていうものを見つけられれば、こんなにハッピーなことはありません。

  そして、探す作業ができるのは、学生のうちだけだと思います。見つけたうえで、仕事につながるならその時点で起業するのもいいし、スポーツならアスリートを目指すのもいいですよね。

  見つけるためには、何事も一生懸命に打ち込んでみること。それが、とても大事だと思いますね。

Field&Mountain山田淳さん <株式会社フィールド&マウンテン>
本社事業所
〒336-0923 埼玉県さいたま市緑区大字大間木1775-2
JR武蔵野線 東浦和駅より徒歩約10分

東京営業所
〒160-0023新宿区西新宿7丁目16-13 第二手塚ビル4F
都営大江戸線 新宿西口駅より徒歩約5分

[取材・執筆・構成・撮影(インタビュー写真)]真田明日美

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