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究極のファミリーカンパニーを目指して
―ヴィックスコミュニケーションズが目指す働き方とは―

株式会社ヴィックスコミュニケーションズ 福田浩太郎

株式会社ヴィックスコミュニケーションズ福田社長は1店の携帯販売店から事業を始め、携帯電話やウォーターサーバーの販売、テレアポやコールセンター等、「販売」のジャンルで成長を続けてきました。新たに訪問販売の事業を立ち上げ、今後も従業員が求める事業をコンスタントに立ち上げることが目標です。「究極のファミリーカンパニー」を目指す福田社長のロングインタビューです。

福田 浩太郎
株式会社ヴィックスコミュニケーションズ 代表取締役

1978年生まれ、東京都出身。1996年慶應義塾大学経済学部へ入学。大学3年目家庭の事情により一度大学を休学、金融関係や携帯販売会社へ入社し経験を積む。2003年携帯電話販売事業を立ち上げ、個人事業主として店舗運営に携わる。2005年6月株式会社キュービック設立、2006年1月株式会社エンコールと業務提携、和歌山県海南市に100ブースのコールセンターを運営開始。2006年2月社名を株式会社キュービックから株式会社ヴィックスコミュニケーションズに変更、現在に至る。

イベント運営で起業力を身に着けた学生時代

―学生時代から起業に興味は持っていたのですか?―

それはあまり考えていなかったように思います。大学に入学してすぐの頃は複数のアルバイトを掛け持ちしながら働いていました。とにかくアルバイトに精を出し、がむしゃらに働いていたタイプですね。塾の講師、ティッシュ配り、飲食店のウェイター、水商売で働くスタッフのスカウト業、コンビニ店の店員、カラオケ店…と、接客業に関しては一通りの業種を経験することができました。最も大変だったのは、スカウトの仕事ですね。仕事自体の辛さも去ることながら、自分でスケジュール管理をしなければいけなかったことが最も難しく大変だったように思います。まだバイトだったということもあり、厳しいノルマを課せられていたということもなかったので、「疲れたな」と思えばすぐに休むこともできますし、自分の好きなように働くことができました。正直サボるのもとても簡単なことでした。そういった働き方が当たり前となっていた中で、自分の甘い部分を抑制し仕事に対して責任感を持つことができるようになりました。

―その後は学生サークルでの活動に力を入れたと聞きましたが?―

はい、色々な大学が合同で集まり活動していたインカレのサークルで、所属している学生の数も多かったですね。そういったサークルが全国各地にありました。このサークルは、実際の企業をスポンサーとしてつけることで、学生主体で様々なイベントやプロモーション活動を行っていたサークルです。大型の合同イベントともなれば全国で1万人以上の学生を動員できるほどだったので、企業側にとっても得る物は大きかったのだと思います。スポンサーの元へ赴くこともありましたし、自分達でスポンサーを集めるため営業を行った事もあります。企画書や仕様書はもちろん自分達で作成していました。学生の立場でありながら事業に関わることができた事は最大の魅力でした。かかわった中で最も大きな仕事となったのは、大手レコード会社であるエイベックス様と協力し、CDをリリースしたことです。学生でありながら社会との接点を持てたところや、実際にビジネスを進めていく流れを学ぶことができたので、起業時に必要となる最低限のビジネス知識を身に着けることができたと思っています。

起業への道のり―波乱万丈な大学時代

株式会社ヴィックスコミュニケーションズ設立までの道のりを語る福田浩太郎社長

―しかし、その後突然休学をされたと聞きましたが―

実は、大学在学中に両親が破産状態になったのです。そのため、大学の学費が払えないという状態になりました。もう両親を頼ることはできません。当時のサークルでは確かにビジネスに近いことをしていましたが、僕ら学生の手元にはほとんど残りません。これでは生活をすることができないと思い大学を休学したのです。

その後金融関係の企業へ入社し、1年後には携帯電話商社の企業へ転職しました。その企業の経営幹部には、私がサークル時代お世話になった先輩が多くいましたし仕事に不満はなかったのですが、仕事をする中で次第に「自分で事業を始めたい!」と思うようになり、半年で退職をしたのです。しかし、結局それはうまくいきませんでした。お金も底をついた頃、前職の社長から「携帯電話の販売をやってみないか?」と、話をいただいたのです。たまたまオーナーが撤退する店があったそうで、その1店舗を居抜きで貸すからやってみないか?と言っていただきました。要するに携帯の販売員ですね。

―経験なし、資金もなし!所持金500円で出発した起業家人生―

当初思い描いた「起業」という形ではなく個人事業主に近い形ではありましたが、これを逃したら必ず後悔すると思い、ありがたく店を譲り受けることにしました。むしろ当時僕が持っていた全財産はたったの500円!この店舗の運営を始めるのならば初期費用は必要ありませんし、すぐに始めることができます。家賃や電気、光熱費などの諸経費は日々の売上から30分割した1日分を支払えば問題ありません。当時の自分にとって最良の条件でしたので、すぐに準備を進め2003年1月にオープンしました。

とにかくお金がなかったので、求人広告の類は一切出すことができませんでした。そのため、店頭の大きなポスターの裏に「アルバイト募集!」と張り紙を貼り、1人で毎日店に立ち続けました。店を休むと給料が0になってしまいさらに毎日の諸経費はかかってしまうので、マイナスです。「休もう」という発想は基本的に皆無でしたね。ポスターを見て「働きたい」と言う人が現れたのはそれから二か月半後のことでした。二か月半の間1日も休まず1人で店を切り盛りしていました。利益は全て自分のものなので、その日に売った台数によって生活も変わるのが当たり前でしたね。5台売れた日はファミレスでハンバーグを食べられるけど、1台だけの日はおにぎり1個…など、今思えばその日暮らしのようなハングリーな毎日でした。大学時代に嫌というほど経験した接客業のアルバイト経験はこの時に活かすことができたと思っています。

―その後大学には戻られたのですか?―

携帯電話の販売を始め、その後は自分で会社を創立しました。創立から2~3年の間は従業員も増え事業も拡大していたため、大学のことなどすっかり忘れて仕事に追われる毎日でした。しかし、3年ほど経った頃、急に大学の学部長に呼び出されたのです。休学時のまま籍だけずっと置いていたので「今後どうするのか?」と尋ねられたのです。当時は社員も30人弱になっていましたし業績も順調に伸びていました。そして何より30人の社員とその家族を路頭に迷わせるわけにはいかないという経営者としての責任があります。そういった自分の環境を考えた結果、大学を退学する道を選びました。

起業までの道のり―人生で最も過酷だった貧乏暮し

―起業当時に苦労されたことがあれば教えて下さい―

今では起業する人もずいぶん増えましたが、僕が独立した当時は同世代で起業を考える人なんてほぼいませんでした。そのため、どんな些細なことであっても相談をする相手がまずいませんし、金銭的な部分で困っていても誰かに頼ることができなかったのです。不安というよりも実際に困った事態に直面し戸惑った経験は何度もあります。

さらに、社会人としての経験も浅く、忙しさにかまけて勉強する余裕もありませんでした。会社の資金繰りに関する知識に至ってはほぼゼロと言っても過言ではなかったのです。そのため、銀行から借り入れを行うなんて方法は考えたこともありませんでした。超高金利の街金会社から借り入れて急場を凌ぐといった事態が何度もあったのです。今思えば、かなり危険極まりない生き方をしていたように思います。

―食べる物にも困るほど貧乏だったというのは本当ですか?―

本当です。水、醤油、ソースの3つで空腹をしのいでいた時期もありました(笑)どうしてそんなにお金に困っていたのかと言うと、起業に至る経緯に問題がありました。携帯電話商社をしている企業に勤めていた頃、当時の経営幹部の多くは大学時代お世話になったサークルの先輩方でした。そういった人達へ「独立します!」「会社を作るから辞めます!」と、何度も口にして退職をしたのです。啖呵を切って退職した手前、どこかで一時的に働くことや、アルバイトをすることができず、手持ちの残金はみるみる減っていきました。家賃を払わず毎日大家と喧嘩をしていましたし、最後は水道も止まってしまったほどです。学生時代の友人達に自宅で鍋パーティを開いてもらい、残った材料を「捨てとくよ」と言いつつそのまま貰って自分の食事に回す…そんなことを繰り返し何とか食い繋いでいましたね。

独立してから1年も経てば何とか食べることには困らないようになりましたが、この貧乏時代のトラウマが抜けず、かなり食にはこだわっていました。「美味しい食事を値段なんて気にせず食べたい!」と言う思いがとにかく強かったのです。着古したジャージ姿で高級焼肉店に行った時は服装を見た店員に入店を断られ「何が問題なんだ?お金ならある!」と詰め寄ったこともありましたね(笑)

販売を力に―ヴィックスコミュニケーションズの事業展望

力強い目力が印象的な福田社長

―御社の事業について教えて下さい―

人財業をメインにしていると思われがちですが、もっと広く「販売」が事業の主軸です。携帯電話の販売(店舗販売)、ウオーターサーバーの販売(ブース販売)、テレアポ&コールセンター(電話販売)、サプリメント(ネット販売)、不動産事業など、全て「売る事業」となっています。介護の事業もありますが、売上の多くは携帯電話の販売事業なので、やはり今後も「売る」というジャンルに注力し、営業販売系の事業を伸ばしていきたいです。

売上の大半を占める携帯電話の売上は、年間約30億円です。全国で11店舗の携帯電話販売店の運営をしており、auの正規店も2店舗運営しています。売上台数にして年間約4万台~5万台にも上ります。その中でお客様に許諾を得て購入時に店頭でアプリをインストールする「ストアプロモーション」のサービスも行っております。そのため、新たな事業として既存事業とのシナジーを生むために、現在スマホアプリの開発を急ピッチで進めています。すでに年間数万台単位の販売実績がありますので、これはかなり強みだと思います。

―「販売」の業種で新たに訪問販売のビジネスも考えているとお聞きしましたが―

新たな事業の立ち上げを考えた際にまず思ったのが、現在の事業は場所代などの固定費がかかるビジネスばかりだなということです。しかし、店舗を構えない訪問販売ならば、利益率は飛躍的に上がります。そこで、今は静岡で太陽光発電の訪問販売を行っている会社に社員を2名常駐させて研修を受けているところです。新たな事業を始める時は社長自らが実践しその背中を社員達に見せることも大事だと思っています。そのため、僕も業務と折り合いをつけながら研修を受け、一軒一軒自宅を訪問しています。

実際に自宅を訪問するようになって気付いたことは、太陽光発電の導入を検討している家庭は一昔前とは事情が変わってきていることです。以前は単純に太陽光で発電した電力を電力会社へ売電することを目的としていました。しかし、近年「太陽光発電」「オール電化」「蓄電池」の3つが揃った「スマートハウス」という住宅が注目されているのです。そういった家庭では、昼に溜めた電力は売電し、夜の安い電力は自分の家庭で使う電力として蓄電池を使って溜めおくのが一般的となっています。そのため、太陽光発電を検討しているお客様は同時に「オール電化」や「蓄電池」への関心も高いので、こうした「スマートハウス」の知識を深める必要があります。現在は蓄電池の販売を行ってはいませんが、近い将来に蓄電池の販売も取り入れたいと考えています。まだ始めて数ヶ月ですが「訪問販売ってこんなに辛いのか!」というのが本音です。しかし、訪問販売が1つの事業としてある程度確立すれば、販売という業種はほぼ網羅できると考えているので、形になるまで多少時間が必要になるかも知れませんが、何とか1つの事業として確立させたいところです。

究極のファミリーカンパニーを目指して

福田浩太郎社長の爽やかな横顔

―御社はスタッフ同士とても仲がいいと聞いておりますが―

そうですね、あまりに仲がいいので、たまにサークルの延長のような会社だな、と思う時があります。元々僕自身が、仕事とプライベートの垣根がない会社を作りたいと思っていたので、仲がいいのは大いに喜ばしいですね。役員と一緒にプライベートで旅行に行く社員もいますし、社内の飲み会に社員の恋人や以前に退職したスタッフがいることも多々あります。さらに、そうした飲み会がほぼ100%毎日どこかで開催されているのも弊社の特徴ですね。「こんなに仲がいい会社は見たことない!」と、他社の人には驚かれます。

仲がよいと仕事上のコミュニケーションが取りやすいですし、調子が悪い時はその原因まで分かっているので、みんなでフォローすることができます。そうして社員同士が絆を深めることは僕が目指していた働き方の1つでもあります。目指すところは「究極のファミリーカンパニー」なので、今後も積極的にコミュニケーションを取りながら社員一丸となって成長していきたいと思います。

―5年後10年後思い描くビジョンはありますか?―

事業内容を見ていただけると分かるかも知れませんが、事業内容を1つの分野や業界に絞って考えたことはありません。販売や営業系の事業に力を入れている会社ではありますが、それはあくまで役員を始めとした経営側の考え方であって、一緒に働く社員が「こういう事業をしたいです!」と声を上げた時、それを実現できる会社でいたいというのが最も強い希望です。

そして、「究極のファミリーカンパニー」を目指していることもあり、定年退職制度は設けていません。それは、死ぬ直前まで一緒に働きたいという私自身の希望でもあります。そのためには、70歳や80歳でも働くことができる仕事が必要ですし、子供を産んだ女性社員が職場復帰するためには保育制度を整える必要もあります。女性社員が出産後の預け先が見つからないという理由から退職をするケースが近年増えており、この問題には早急に取り掛からねばなりません。そして、現在最も年上なのは、介護事業で働く67歳のスタッフです。ご飯を作ったり要介護者の世話をしたりといった業務でしたら70歳になっても続けられるということがはっきりと分かりました。今後は、保育園を作ることも検討しています。子供を産んだ後の預け先が見つからずに苦労している社員が多いという事が分かりましたので、実現に乗りだしました

ライフステージが変わっても、歳を重ねても、社員がイキイキと働くことのできる企業でなければ僕は満足できないですね。現在、役員会に1歳にも満たない子供を抱いて参加する社員もいます。他社の人はびっくりしますが、うちの会社では全く問題ではありません。社員全員がファミリーならば、社員の家族もまた自分のファミリーなのです。

[取材/執筆/編集] 高橋秀明、白井美紗

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